カタカムナ

カタカムナ ウタ 第41首

カムナガラ トヨクラオカミ クラミツハ アマタマ マトマリ カタカムナ マサカヤマツミ ムカヒマリ オドヤマツミヲ メグルマリ ワクミハラナル マカヒクシサリ

【用語の訳】
○カム ナガラカ
カは六方に無限に存在していて、何億回もガとしてあらわれます。
※ カをガと濁音にしているのは、繰り返しを強調しているのです。

○トヨクラオカミ クラミツハ
現象に発生したものは皆、トヨ(重合の四相)を持ちます。
ソコ(膨張)に対する抗膨張性と、ソギ(収縮)に対する抗収縮性を四相とするならば、体の交感神経と副交感神経の働きもこのような四相で様々なバランスをとります。現象のバランスの乱れを感じ取り、修復するのは潜象の働きによります。

それは、現象物のアマナにクラ(潜在)しているオカミ(オホカミ、カムミ)であり、クラミツハ(潜象のミツゴの正反の状態)なのです。

アマナ(ミナカヌシ)に「ミツハノメ」(イカツミ、マクミ、カラミの三素量の正反配偶)としてマトマリ(重合)している、カタカムナの実質です。

「クラミツハ」とは、クラ(潜象で自由にあらわれる)ミツハ(ミツゴの正反)です。

○アマタマ マトマリ カタカムナ
アマはカが現象に現れているオホ(大きな)マ。タマとはカムアマのワから独立的に出たマという思念。「アマ」(始元量)と「タマ」とのムカヒ(対向)があって、アマ(始元量)のチカラがタマの実質であるアマナ(アマの代理)に入ります。

「マトマリ」とは、タマにト(重合)したマリは、アマからリ(分離)したとみています。そこでマトマリといいます。

「カタカムナ」は、カタ(カから独立した)カムナ(カムの名代)として、タマ(個体)に関係するアマナの内外環境に潜在する存在です。

カムの無限とも言える根源のチカラは、カムナを通して常に私達のイカツやマカハコクニやオホワタツミのアマナと疎通していますから、私達はカタカムナに委ねることが最強の選択になるのです。

自力ではなく、カムミイヤマヒ(カムミを敬う行は目に見えないミ(電気粒子)を益々収着させる)がモロカゲサチ(モロモロのお陰で生きていられる、カの持続が幸になる)なのです。

○マサカヤマツミ
マ(アマ)からサかれたカ(アワ)が、ヤ(極限)まで、マトマリに山積みになっている個々のミ(個々の微粒子)のこと。

楢崎皐月は、「マサカヤマツミ」は、「クラミツハ」(潜象で自由にあらわれるミツゴの正反)が正・反のサカムキ(反対向き、対称)にヤマ(幾重にも重なったもの)であり、これを一般染色体に相当する基礎物質と訳しています。

○ムカヒマリ オドヤマツミヲ メグルマリ
ム(無限の)カのチカラがヒ(根源)のマリ(微粒子)としてオド(六方環境でのカの重合)がヤ(極限)までマに於いてツ(個々)のミが山積みに集まり、ヲ(四相性をもつ)存在として、メ(発生)がグ(自由に)ル(存在)するマリとなります。こうして、カムのチカラがアマナを通して発揮されることで私達のタマが存在するのです。

「マサカヤマツミ」でムカヒ(対向発生)したマリが、オドヤマツミヲのヲ(四相をもって存在して)、メグルマリ(自己複製をくり返す循環するマリ)になっているのです。

○ワクミハラナル
ワク(自由に発生して)ミ(ミツゴ)のハ(正反)がナ(何億回とくり返して)ル(定着)しますが、その際には、マカ(現象の生命)のヒ(根源)がク(自由に)シ(示され)ますが、それはサ(カの量)によってリ(分離、分化)していきます。

「マカ」とは、アマ(始元量)からタカ(発生)した、カタチ(トコロのタカミ)とイノチ(トキのカムミ)が様々に分化(異質のものへと変化)していくチカラのことをいいます。

「クシ」とはアワ(潜象系)のイノチ(カム・アマの発生・変遷の状態)のこと。「サリ」はサ(カのサ)によって分けるチカラのことで、サリ(性質)にもなります。

「クシサリ」が、性質にもなるのです。体や精神の今の性質を良くすることが「マカヒクシサリ」なのです。

【焦点】マカヒクシサリ

「マカヒクシサリ」は「オノズサリ」や「マノスベシ」と同じヒビキをもった素敵な言葉です。

私達が、人生を如何に生きれば、元気に心安く過ごせるかといえば、「マノスベシ」や「オノズサリ」や「マカヒクシサリ」であると教えてくれています。

「マサカヤマツミ」が「オドヤマツミヲ メグルマリ」(六方環境のカの重合が、極限までマに於いて個々のミが山積みに集まって四相性をもって存在し、発生が自由)であれば、「アカキウツシネ」(清明な優性遺伝の体質気質)になります。そして元気に生きていけます。

姿勢や歩き方、呼吸のあり方、動き方などがマノスベシであることに尽きると思います。これによってカサ(アワ量)をマサカヤマツミに増やすこと「マカヒクシサリ」が第一なのです。

このようなカタカムナの発想は、いわゆる「トレーニング」で筋肉を鍛えるという外国文明の発想とは全く根本から異なるのです。

筋肉ではなく感受性を鍛えて、感受性に従った動きが生まれることがイキを鍛えることになるのです。