カタカムナ

イノチが続くのは

私達の生命が続くのは、フトマニ(正反対向発生)が繰り返されるからです。フトマニが繰り返されるのは、トコタチ(重合を繰り返す性質)があるからです。フトマニの度に、一つ一つ「カ」の生命力が発生します。そのカ(ヤタノカ)がアマノミナカヌシ(ミスマルノタマ)に重合されます。

アマノミナカヌシは、タカミムスヒ(生命体の発生)とカムミムスヒ(生命力の発生)となって、細胞が移り変わり、イノチが続いていきます。それには、先ずフトマニが発生しなければなりません。フトマニの発生する条件を作ることをヤタといいます。

ヤタの条件を増やしていくと、少しずつ体の動きが滑らかに、若々しくなっていきます。ヤタの条件は色々とありますが、先ずは体を動かすことです。

体を動かすのにも、良い動かし方と悪い動かし方があります。良い動かし方とは、感受性を働かせて動かすことです。動かすときに思念を入れて動かす。感じつつ動かす。感受してから動かすことが大切です。

感受性とはアワ性のことであり、アワは「カ」の力のことであって、「カ」は生命力を発揮させる元の力です。アワが豊富になる姿勢や動かし方は、かつての日本の文化を支えるものでした。

因みに、中国武術はつま先から着地する歩き方が基本になります。闘いを優先するとこうなるのでしょう。しかし、生命を大切にする日本古来の動きは、つま先ではなく踵に重心をおきました。目的が違えば真逆になるのです。また、サヌキ文化は「脇を締めて」と言います。脇を締めると、アワの発生が少なくなりますから、脇は開けるようにしてください。

他にも、サヌキとアワの文化の違いは色々とあります。カタカムナの教えは、先ずはアワを増すことを優先していたので、それによって姿勢や動き方が出来上がっていきました。サヌキ(日常の活動力、生命力)は、アワ量に応じたサヌキしか発揮できないのです。

幕末や明治初期に日本に来た欧米人の多くが、日本人の体力に驚いたと書き残しています。その体力とは、アワ量の多さから生まれたものです。例えるならば、電気自動車はバッテリーの電気を消耗して走ります。バッテリーの充電量が無くなれば動かなくなります。

体も同じです。イカツ(電気)の力で動きます。イノチは、電気の発生が持続するという意味ですから、言葉通り、イカツの発生がなくなれば動けなくなります。

アワ量(カサ、カの量)の発生が少ない生き方をしていると、電気量の消耗に追いつかず、疲れたり、動けなくなったり、免疫力が落ちたりします。

古来の日本人の仕草は、高い感受性で体を高電位に保ちました。このことをカタカムナでは、イヤシロチバ(イカツを満タンに示す状態を持続する体)といいます。

諸外国は闘いから生まれた姿勢や動き方ですから、イカツの消費も大きいのです。オリンピックのように一番をめざすのであれば、外国的な動きも良いでしょう。しかし、日本人の得意分野は省エネです。十分なアワによって、疲れたという弱音を吐きませんでした。

死ぬまで元気でいたいのであれば、不自然な筋肉トレーニングで細胞をいじめないこと。細胞を壊さないように心掛けるべきでしょう。細胞と会話し、細胞と仲良く付き合えば、細胞は自ずと積極的に働いてくれます。細胞にはアワの心が通じるのです。根性で細胞をこき使うのはサヌキ性であって、アワ性ではありません。