チカラとカラミについて
私達がチカラと言っているものには2種類あります。一つは収縮性の力、一つは膨張性の力です。
カタカムナ人はこれを、「カラミ」と「チカラ」に分けていました。何れもアマの持っているチカラがアマウツシされたものです。
この無限に広い宇宙のことをアマといいますが、このアマを満たしている始元量(万象万物に変化する量)もまたアマといいます。
アマ(始元量)はまた、アメ、マリ、カ、カハ、アワ、アマココロのウツシツミなどとも言います。アマは、ソギ(収縮)とソコ(膨張)を超高速で繰り返しています。このことを、イザナギ・イザナミと言います。つまり、イザナギ(今この瞬間が収縮性)イザナミ(今この瞬間は膨張性)ということです。
アマ(宇宙)のソギタチ(収縮性)とソコタチ(膨張性)は、アマ(宇宙)全体で同時的に行われるのではなく、偏りがあります。そして私達の生命体、生命力に関与しているアマナにもその性質があります。それによってソギタチ(収縮)の力(カラミ)と、ソコタチ(膨張)の力(チカラ)がアマウツシされるのです。この性質は、始元量も持っています。これをサッチ(収縮した状態)サギリ(膨張した状態)といいます。
カラミはアマの収縮性の力がアマウツシされたものです。このことが解ると、江戸時代には1俵の米俵(重さにして約60㎏)を容易に扱えたのに今は殆どの人が扱えないことや、旅人が1日10里(約40km)を普通に歩けたのに、今の人はそれができない理由が見えてきます。それは、日本が今よりも遙かにイヤシロチであったからこそ、マノスベの姿勢と相まって、このようなチカラがアマウツシされたからだと推察できます。
自然豊かなイヤシロチに立ってみると、呼吸が深くなります。そして、普段よりも様々なチカラ(能力)が高まっていることがわかることでしょう。
膨張性のチカラについて
アマの膨張性の力がアマウツシされると、遠達性のチカラになります。例えば、宇宙の星々の間に働いている引力もこの力です。引力はその星が固有に持っている力ではありません。宇宙の環境に応じて発生しているのです。つまり、星がどんな軌道を描こうと星間の引力のバランスが崩れることがないのは、存在条件に応じた引力がアマウツシされているからなのです。
引力は引く力だけでなく、斥力(反発力)もアマの収縮性と共に同時的に発生してバランスを取っています。私達のチカラもこのように、様々な条件に応じて瞬間瞬間に発生しているのです。
私達が稽古をしている「離れた相手に作用を及ぼすチカラ」も、風帆の歩き方も、このソコタチ(遠達性)のチカラがアマウツシされているのです。
遠達性のチカラは、筋肉を収縮させるのではなく、弛緩させて体をゆったりとさせることで発生します。緊張を解いたマノスベの姿勢であるからこそ、アマのソコタチの力がアマウツシされるのです。
これはスポーツで筋肉を鍛えることとはアベコベです。筋肉の力は収縮させて発生させますから、この際にアマのソギタチのチカラがアマウツシされます。
一方、ソコタチ(遠達性)の力というのは、ソギタチの力を使わないことです。例えば腕を持ち上げていくときに、普通は力を使います。現代人はスポーツの動きの癖が付いていますから、チカラを使わないで腕を持ち上げることなどできないでしょう。私にとってもこれは一番難しかったことですが、感受しながらミを入れて浮き上がるように上がった腕は、ソコタチの力が使えます。つまり、離れていても技が利くのです。
なぜなら、アマのソコタチの力をアマウツシできたからです。アマウツシミチの第一は、アワ(感受性)を鍛えることです。感受しながら腕を持ち上げる練習をすることで上達してきます。
チカラはアマ界(宇宙)に遍満していて、目に見えぬ(測量できぬ)力の波となって、宇宙空間に根源的に敷かれています。
アマ(始元量)を、「アマタマノムカヒ」(アマ始元量と、ミスマルノタマとの対向)で取り入れます。それを行うのは、アマの分身であるアマナ(ミスマルノタマ)です。アマナがアマの力を刻々に受け取って、その力をミクマリ(配り)します。アマウツシは潜象ですから、これはアマナが潜象と現象の間に存在することになります。
私達の生命にはアマココロが関与しています。そこで、アマココロに沿った自然さの多いオホ(六方環境)を造りだすには、動物、植物、微生物、天体、そして仲間とも、全てに対向して(向かい合って)生きていくことになるのです。そしてそれらとココロを通わす(極微粒子の授受する)ことが、お互いにアマウツシを豊富にすることになります。
太陽や月、樹木や草花、大地、異性との間に生じるマイナスエントロピー(若返り方向)の影響は大きいのです。
このようなオホ(六方環境に親和された状態)の多い環境をイヤシロチ(高電位の環境)と言いますが、この環境では、イキ(呼吸)が自ずと深くなります。
イキとは、イ(電気)のキ(発生)ですから、イキが深ければ、自ずと働きが良くなり健康になるのです。今の都会では息は自ずと浅くなっています。呼吸器関係の細胞が空気を美味しいと思って取り入れていないのです。
大地の電気も極めて微弱なものですが、植物の生育や人間の心身の健康に多大な影響を持っています。
人間の健康には電気の分極(プラス極とマイナス極が生じること)が大事になります。分極が無いと電気が流れません。石でも分極が生じていることで、結晶である宝石が出来上がります。結晶する石は、年輪が生じます。水晶などもてっぺんを叩くと、まわりがそげ落ちることで、年輪があることがわかります。
体も部分的に分極が生じて電位差が大きい程、体はイヤシロ(高電位)となるのです。
【参考】関連したカタカムナの言葉
イヤミソギ
イ(イカツ)をヤ(極限)まで吸着、そして発生させるミソギの場(高電位の還元電圧地帯、つまりイヤシロチ)で行って、体をイヤシロにすること。縄文時代はその場所にトリヰが立っていました。
アマナミチ
アマナの行いのこと。タカミムスヒ(生命体の発生)、カムミムスヒ(生命力の発生)。つまり、現象が色々と変遷し、転換するのはアマナのオコナヒです。
ハグミナリ
健康回復の本来は、生育の成り、天来の自己治癒力に基づくものという意味ですが、それを高めるには、正反の電気(プラス、マイナス)がきちんと分かれて配列し、その電位差が多い程、健康状態が活性化します。生体は筋肉でも血管でも皮膚でも、部分的に電界を形成していますが、それが乱れた状態や、中和した状態ではオヘチのナヤミ(アワ電気量の減退、病化、衰弱)となリます。高まっているかどうかは、ミツゴナミ(アワナギ アワナミ ツラナギナミ)の発生で分かります。
ヤサカナリ
自然の相互繁栄の法則ということで、自然が豊かであれば人も元気でいられます。人が元気でハグミナリの状態であれば、人から出るミツゴナミを自然が喜び、動植物の繁榮に繋がることを言います。
日本がかつて世界で唯一と言える程イヤシロチに恵まれていたのは、上古代人からずっとアワ性に優れた文明が続いていたからです。その要因はカタカムナ文明が発祥して、その教えが人々に浸透していたからです。
トヨ
豊かな生命の意味。アマウツシが積み重ねられて生命体、生命力が充実しますが、それにはト(重合)によってヨ(四相性)を具えることが必然であり、多くのト(カの重合、オホト)があってこそ四相性を具えることが出来るのです。アマウツシを充実させる意味はここにあります。四相とは、アワ・サヌキ、ソコ・ソギのこと。
トキ・トコロ
トキ・トコロは時空と訳しますが、私たちの考えている時空とはかなり違っています。トキのマリ、トコロのマリというように、アマに密充しているマリを働きの方から見てこのように呼んでいるのです。
現象界に発生したあらゆる物質、生命質はトキ(始元量マリ)によって潜象に還元します。これをアマカエシといいます。
「トコロチマタシ」という言葉があります。アマの膨張性により、マリがソコ、ソコと位置を求めて広がって、チマタ(あちらこちら)に現象の場所を定めて現象が示されます。これによって、必要な個所に原子が作られて発生します。
また「トキオカシ」という言葉があります。トキのマリによって、オ(六方環境)からカ(マリ、アマ)がそこにシ(示される)ということです。ミクマリ(アマナ)の働きのチカラを言います。トキのマリもトコロのマリも潜象ですが、これらの働きで現象の発生や還元が繰り返されているのです。
ちなみに、西洋的な時空の考え方は時間と空間が一体ですから、もし昔の時間にタイムトラベルできたとしたら、そこには、その時間の現象も見ることができるというのです。一方、カタカムナのトキとトコロとは、アマが密充しているマリのことを言います。ですから、タイムトラベルはやはり空想科学物語でしかないのでしょう。